kochimaru8127’s blog

訪問看護師の想い出。

生きる事の凄さ

訪問看護歴の長い私は、あらゆる場所で仕事をさせて貰っています。

日本でも限られてくる、そう、あの場所でも行かせて頂きました。

どう表現したら良いんだろう…。

人間って、どうやっても生きて行けるんだ。と、感じさせて貰った場所です。

家が無くても。

雨が降っても。

風が強くても。

どこの国の人でも。

関係なく生きて行けます。

それくらい生命力って強いんです。

負けたら駄目です。

食べる物だってあります。

助けてくれる人もいます。

心が病むのが一番の理由。

誰と比べる?

以前の自分と?

そんなの、どちらが本当の自分か分からないじゃないですか。

己れは己。

そうなんです。

我がが、良ければ良いのです。

そんな世界、少し怖いけど逞しいです。

凄い凄い。

みんな、素晴らしいんです。

鳴っちゃったなぁ

お久し振りです。

新年になって、友達とあれこれと電話で喋っていました。

久々なので盛り上がりますよね。

途中で別のスマホが鳴りました。

あら?

え?

当番?・・・

そうなんです。

訪問看護ってオンコールというのがあって24時間、誰かが連絡を取れる様にしているんです。

ちょっと緊急、入ったから行ってくる。

あ~⤵️⤵️💦

そうなんだね。

こんな寒くて、みんながノンビリしてる日に…(-_-;)

仕方ないよね。。

病院ならばナースコールですね。

でも、でも、断然ハードルが違います❗

自身の時を思い出すと。やっぱり辛いですね。

患者さんは大好きだけど。どこからどこまでが自分の生活だったのか…

あらためて考えさせられました。

いってらっしゃ~い・・・

ススキが光る

まだまだ暑い日が続きます。

草むらを、よく見ると、それでもススキが生えて来てるのが分かります。

ひっそりと秋は近付いて来ています。

 

ススキで思い出す患者さん。

彼女は、療育精神科の部類でした。

一戸建に1人暮らし。

掃除はヘルパーさんが来ていました。

事務所からは、かなり距離がありましたので電気自動車や原付のスタッフは行っていませんでした。

私は引き継いだ時に、仲良くなれるのかなぁ??と思うくらい話が噛み合いませんでした(汗)

外へ連れ出す。という事と保清が目的になっていました。

散歩へ出て行くのも時間がかかりました。本人さんは、喋りたい事がたくさんあるからです。

30代後半か40代前半だったと記憶しているのですが…。

買い物には、ゆっくり1人で行けていた様です。そのついでに、私に。と、地域コミュニティの機関紙や鉄道のプレス誌を持って帰って来てくれていて、地域の色々な事を教えて貰いました。

近江八景を言わされたりしましたよ・・

へぇ~って、事もたくさんあったので、精神が安定してる様にも見えました。

 

両方の足底が変形していて歩き辛く、整形外科的なオペを薦められていた様です。若いので、まだまだ動けた方が良いね・・と、私も賛成していました。

本人はフンギリが何故かつかなかったみたいですが、ある日、突然に決めたみたいでした。

入院前の訪問では入浴を。。そう言われ

促しに30分以上。やっと動いて入ってくれた時に見て驚いたのは、身に付けていた下着があまりに汚れていた事です。

あ…出来てなかったんだと、私自身も反省でした。

彼女とは、入院先に、お見舞いに行ったのが最後でしたが、今はスタスタ歩いていると良いなぁ。と思っています。

ススキの、話から逸れてましたが、彼女が教えてくれた曽爾高原の事。

「ススキをね~取って来ようと思ったら意外に来る道に無かったのよ〰️」

「この辺りには、ないでしょ。ススキはやっぱり曽爾高原❗」

「そんな所があるの?!」……

後からたくさん資料を見て。いつかは行きたい季節の場所として私の中にあります。

忙しいを理由に行けていないですが、この季節になると必ず思い出す患者さんです。

幸せで過ごされてます様に・・・

夏の点滴の指示①

高温多湿になって来ると、ガンガンとクリニック様から点滴の依頼を受けていた事を思い出します。

訪問看護には、指示書というのが必要で、これがまた、色々と分かれているのですが…。

注射や点滴の人の時は、特別指示書というものがあります。

14日だけになるのです。

改善が無かったら続きで、もう一度特別指示書が出たりします。

熱中症で、入院する程ではないけれど。

毎日、点滴には通えない・・・

で、訪問看護師が自宅へ伺う訳です。

 

昨日まで、家事をこなして、動けていた方が全くベッドから出れなくなり。

急いで指示があり、入らせて貰うと言う…。

初めましてm(__)mで、いきなり点滴です。

印象に残っている患者さんで、クリニックの事務長さんから電話があり、スタートした患者さんが居ました。

 

90代の半ば。自立していて誰の助けも要らない方だったのですが……

もう、起き上がる事さえ出来なくなり、介入して行く事になりました。

もちろん独り暮らしです。

食事も作れていたのに、全く駄目になりました。

救急病院に行くほどではないので、自宅療養です。

70代の息子さん夫婦が近くには住んで居たんですけれどね。。。

その息子さんの妻がガンの終末期だった様で、全く来られませんでした。

ベッドの横にテーブルを置いて。

朝はそのテーブルにポンと置いてある菓子パンを食べるのです。

距離が少しあるので、もし、落としたら……拾えないので食べられません(>_<)

昼は、30分だけのヘルパーさんが来ます。それも毎日ではない❗

 

もちろん、寝たきりになったので、オムツになりました。

ここで、あれ?と、思いませんか?

オムツは1日に何度替えるんだろう?って。

そうなのです❗

点滴に行った私達だけが、1日に接触する人間なんです。

これって…(-_-;)

おかしいですよね。

菓子パンは、日付がもつ間には、息子さんからの差し入れは、無いので来れない❗と言う事になります。

今まで、動けていたのでヘルパーさん等の介護も、ピンピンと動いていた時のままです。

30分でヘルパーのする事は、オムツ交換と、レトルトのお粥を、チンとレンジして本人に渡すだけ。。

ベッド下には、落とした食べ物がコロリ。ホコリとか食べ物屑が蓄積して行きました。

見たら分かるくらいに白くなりました。

掃除機などをかける時間が無いのですよ。。

見るに耐えれなくなったので、私が地域包括センターとか、あちこちに電話を入れました。

その時も、地域分け。管轄。介護区分。等に振り回され、肝心の要件を伝えられない状態で、プンプン💢💢💨と、こちらがイライラしました。

ケアマネの、オッサンにも電話しました。

まぁ…半分ヤクザみたいな奴だったので、話しは進みませんでした。

今も、自分の事務所ではない所で、やってると言う噂を聞きます。

わぁ・・・最悪。

結果、14日が過ぎてしまったので、私達は終了になりました。

数日で、環境が変えられる訳ではなかったですけれど(T_T)

やれる範囲の事は、したから。

そう、自分自身の中で消化して行くしか無かったです。

今でも、その都市に行き、建物の近辺を通ると、悔しかったなぁ。と、甦ります。

夏の点滴の思い出の、お一人です。

 

高齢者は、急に悪くなりやすい。

寝込んでしまうと、その後、動けなくなる事があります。

介護保険の区分変更は時間がかかります(;´д`)

 

 

では、また。

暑くなって来ました

毎日の業務に明け暮れて、ご無沙汰しております。

暑い日が増えて来て、訪問看護師には、過酷な日常になりつつあります。

病院看護師なら、1日中、クーラーが効いた建物の中に居て患者さんの部屋を訪室して、記録をし、処置をしている頃です。

日射しは強く、手の甲からシミが出てくる(笑)もちろん顔もモロです。

諦めていますけど…

白い手は、憧れです💦

 

こんな風に暑くなっても、エアコンを点けない患者さんもいらっしゃいます。

下手すると外より家の内が高温になっています。

 

こんにちわ〰️〰️❗

って、入ってみたらテレビの前に倒れていたとか・・・あります。

そして身体はアツアツです。

熱中症です。

直ぐに熱を測ったら40℃とか⤵️⤵️💨

救急依頼して、家族に連絡して。

ケアマネさんが、ついてたらそこにも連絡して、訪問先が時間が空いてたら、病院の方まで先回りして行く事もあります。

失禁等もしてるので着替え等もしたり。

とっても慌ただしく、数分は頭の中がフル回転します(笑)

普段、いかに使ってないか…(-_-;)

入院になれば、看護サマリーと言うものを当日か翌日には病院さんへ届けます。

上手く行けば、当日に点滴して自宅へ帰れる時もあります。

状態次第です。

帰らされた❗と、逆に怒って戻って来る患者さんも居ますけれど、それが一番良いのですけれどね~~♪

こうやって、熱中症の患者さんを思い浮かべると、何人かの方の顔が出て来ます。

日本の夏は湿度が高いから、やっぱり大変です。

今年も、こんなドタバタになりません様に…(‐人‐)

皆様も、お気を付けてお過ごし下さいねヽ(´ー` )ノ

延命処置ってどうなんだろう

大動脈解離の話を記したら、久し振りに心臓血管外科の医師達との夢を見ました。

大変珍しい事なので、どこかに留めて置きたくなりました。

現在も活躍中の先生方なので、あくまでも私の夢の中での会話内容です。

 

セッセと、お弁当をいくつか作ってる私。先生達にも届けた。

入れ物を回収しに、医局に入って来た私に、先生等が話す。

あれ、どうすんの?

どうも亡き夫の病状を示されている様な感じ。

いや。もう何もしないんです。

ちゃんと話聞いてんの?

穴開いてるで?知ってる?

それって先生、本人の中で起きてる事?

外からの影響じゃないでしょ?

まぁ。そうかなぁ・・・

じゃあ、このままで良いと思う。

 

本当は亡くなった原因も理由も、違うんですが…。

深層心理の中では納得出来ていなかったのかな。

主治医がブラッドアクセスして・・とかの治療を持ち出した時に、何もして貰わなくても、自然で良いです。と、言い切ったのです。

多少、長生きしたとしても。。

本人にかかる負担は大きいと、考えているからですが。

果たして、それを本人自身は望んでいたのかどうなのか…それは今世では、2度と聞く事は出来ません。

これは、私の考えの押し売りだったのか?多分、最後まで答えは出てきません。全部、フルコースでしたとして。

1ヶ月を延命したとしても。

意識の無いまま、過ごして幸せかなぁ?と、考える訳なんですが。

冷静過ぎますか?

この夢から覚めて、ある出来事を思い出したので共に記しておきたく思います。

 

ある田舎街の患者さんが、何かが切っ掛けでALSだと判りました。

本人は、全ての治療を拒否して暮らして居ました。娘さんが近くに引き取り、施設で過ごされて居ました。

段々と症状が進み、人工呼吸器は拒否だったので。在宅酸素だけは行う事になりました。

ある日、あまりに状態が悪かったので、施設長が救急搬送を依頼しました。

たまたま、そこに同乗して行ったのが派遣看護師の私でした。

本人からは、何も説明を聞いていない。

延命処置拒否の書類を、記入していない。という事が判りました。田舎の病院での手落ちだった様です。

搬送先で、どうするのか?という議論になりました。

あちらの医師からは、看護師さんが、説明して。。と、席を外されました。

私は人工呼吸器についての説明から始めたのですが・・途中で会話を耳にした医師に、貴女の意志がそこには入っている。と、指摘されました。

説明を中立に淡々と出来る様な場面にも、立場にもなった事がありません。

難しいなぁ。どうしてこれが今、私の役目なのだろう?と感じました。

日給いくらで。の私では駄目なんじゃないの?!それが本音です。

その日、結果的には、もう一度、救急車を呼んで貰って施設まで戻りました。

サイレンを鳴らさず。

これって、どうなん?とか

あちらの救急の方にもブツブツ(# ̄З ̄)言われながら帰って来た訳ですが。

寝台車でなく救急車を呼び出せる医師も凄い人でした。お名前も忘れてしまいましたが……。

程なく私は派遣期間を終えて、その施設を離れましたが。残った常勤看護師さんから、最期まで施設で酸素だけで過ごした。と教えて貰いました。

死生観には、各々あります。

何が正しくて、何が間違いなのかは、ありません。

 

とても懐しい話でしたが、鮮明にこれも記憶しています。

 

今日の夢はパラレルワールドなんじゃないの?と思うくらいにハッキリしていて内容も、そうなんだ❗とか思えたのです(笑)

在宅をやらせて貰っている今は、本人自身に選択権があり、それをサポートさせて頂いてると思っています。

それでは今日も良い日になります様に

m(__)m

訪問看護師の友人の事で

こんばんわ。

私の友人の訪問看護師。

もう、この職業にピッタリだと思える彼女にも、時々、色々な事が降りかかります。

仕事していたら、誰でもだよ。って、思うでしょうけれど…

そこには、1つの命があるから、悩み、反省し。。次へステップアップするのです。

 

先日、いつも通りの訪問の日。

少し早かったけど、ピンポンしたら

何の応答も無かった・・

少し認知が入っているから、また、忘れられてるのかな。と、次へ行く事にした。

午前の予定を、済ませて事務所へ戻ろうとしたら、携帯が鳴った。

先程、留守だった患者さんの家に行ったヘルパーさんからの電話……。

???ん(  -_・)?

内容は、訪問したけど応答もないし。

どうしましょう?という内容だった。

自分も、行ったけれど同じだった事を伝えた。

1時間程の距離が離れてる娘さんに電話を入れて、家まで来て貰う事になった。

家の前で、ヘルパー、看護師、娘。

3人で揃って家の鍵を開けて入る事になった。

そこで見た光景は、患者さんが廊下で倒れている姿だった。

ジッと、観察すると少し動いた気がした…。皮膚色は悪い。

動脈は弱いけど触れる様な、そんな微かな脈だった。救急搬送依頼。

こんなご時世で、なかなか取ってくれない❗

やっと、搬送先が決まった。

病院に着くと暫くして息を引き取った。

そして・・・病名は、大動脈解離だった。

 

これは、滅多に助からないです。

相当、早く大病院でオペをしたら…というくらいです。

そこで、友人の訪問看護師は、あの時、私が入っていたら。連絡していたら。と、反省になって来るのですが、どうも明け方くらいに、発症したみたいなので、1~2時間早くても結果は同じでした。

それだけは、断言します。

そして、患者さん自身が、よく言っていた事。

病院で死にたい。

それも叶いました。

自宅は事故物件には、なりません。

私は、これで良かったんだと思います。

長患いもせず、パンッと倒れて・・・

息のあるうちに病院にも運んで貰えたんですから。

友人の訪問看護師にも、伝えました。

充分だったと思うよ。と。

大動脈解離は、数分です。

背中が痛い。腰が痛い。等の訴えがあります。

でも、普通の病院では、痛み程度で、そこまで疑って検査をしてくれる所は、なかなかありません。

しっかり、見届けた彼女に、お疲れ様を言いたいと思います。

お疲れ様~~m(__)m